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小学生が2人、どこまで行けるのか。
2人のことを誰も知らない、新天地へと行くことが可能なのか。
普通に考えたら無理だ。
なんの収入もない人間が、新しい地に行って生活なんかできるわけがない。
でも僕はできるんじゃないかと思った。
純玲さんと一緒なら。
純玲さんと一緒にいられるなら、僕はバイトだってなんだってやる。
贅沢はさせてあげられないけど、普通の生活くらいはさせてあげられる。
そう思っていた。
……思い込んでいた。
「ねえ、陽太くん。私と一緒に新しい場所に行かない?」
放課後の空き教室……文芸部の部室で、純玲さんがポツリとつぶやくように言った。
純玲さんは5年生で文芸部の部長だ。
そして、部員は僕だけ。
部員が2人しかいないので、正式な部ではなく学校内では同好会というくくりになっているはずだ。
僕はそれでよかった。
教室内に純玲さんと2人だけの時間を過ごせるだけで十分だ。
そもそも、純玲さんに会う理由を得るために文芸部に入った。
本には全然興味がなかったのに。
だから僕はいつも漫画を持ち込んで読んでいた。
持ってくる漫画は何度も何度も読んだ、読み飽きた本。
でも、それでよかった。
僕は漫画を読むフリをして純玲さんを見るのだから。
「……いや?」
純玲さんは読んでいた本を閉じて膝に置き、僕のほうを見た。
「え? いや、その……。どういうことですか?」
純玲さんが立ち上がり、僕の目の前に立つ。
手を後ろで組み、にこりと微笑んでいる。
窓から差し込んでくる夕日の光が、もともと赤みを帯びた、ウェーブがかかった髪をさらに赤く染めていた。
「私と駆け落ちしてくれない?」
すぐに学校を出て、純玲さんと一緒に駅に向かう。
カバンは部室に置いてきた。
荷物を減らすのと、もう帰らないという決意を込めて。
駅まで向かう間、純玲さんはずっと黙っていた。
もともと、純玲さんはあまり表情を変えないし、しゃべらない。
だから、何を考えているのかがわかりづらい。
駅に到着したときには18時になっていた。
10月の18時となれば、もう暗くなっている。
いくら持ってったっけ?
電車でどこまで行くのかわからないが、持ち合わせはそこまで多くない。
この前、漫画を買ったばかりだ。
場所によってはお金が足りないということもあり得る。
お金を純玲さんから借りる、なんてことが頭をよぎったがそんな格好悪いことはできない。
そんなことを考えていると……。
「行こう」
純玲さんはそう言って、駅の中へ入るのではなく、線路に沿って歩き出した。
「あ、あの、乗らないんですか? 電車」
「お金は少しでも残したいから」
無表情で歩き続ける純玲さん。
僕もあわてて横を歩く。
「そういえば……未成年でも部屋とかって借りられるのかな?」
「え? えっと……。しばらくは漫画喫茶に泊まるとかどうですか?」
「……ああ、なるほど」
そんな会話をした後は、純玲さんは口を開くことなく、歩き続ける。
時間はもう20時。
きっと、お母さんたちが心配している頃だろう。
せめて、一言言っておくべきだっただろうか。
いや、言ったら絶対に反対される。
二度と、お母さんたちには会えないことになるけど、これでよかったんだ。
無言のまま、ひたすら線路に沿って歩く。
ちらりと純玲さんの横顔を見るが、やっぱり無表情で何を考えているかわからない。
……それにしても、なんで僕なんかと駆け落ちなんて言い出したんだろう?
「私ね、好きな人がいたの」
突然、純玲さんがつぶやいた。
「その人にね、言ってみたの。私と駆け落ちしてくれない? って」
「……」
「断られちゃった。できるわけないじゃんって」
「そう……だったんですか」
「だから、次に陽太くんに言ったの。陽太くんならオッケーしてくれるって思って」
純玲さんは残酷だ。
純玲さんに好きな人がいたことと、僕は2番目……どころか単なる都合のいい人間だと思っていると本人に言われたのだ。
「……失望した? ごめんね。怒ったなら、帰っていいよ」
「……帰りませんよ」
「どうして?」
「嬉しかったからです」
「嬉しかった?」
「純玲さんに選ばれたことです」
「……1番じゃないんだよ?」
「それでもです」
そう。
僕は嬉しかった。
たとえ、2番目でも。
都合のいい人間だと思われていても。
僕を選んでくれたってだけで、本当に嬉しかったんだ。
「……私、知ってたんだ。陽太くんが私のことを好きだって」
「……」
「そして、私の言うことを何でも受け入れてくれるって」
純玲さんはまっすぐ前を向いたまま、無表情で言った。
一回も、こっちを見てくれることはない。
「なんで、こんな私が好きなの? 私なら、私のことなんて大嫌いになる」
「正直、わかりません。僕は……純玲さんのことが好きです。この先、どんなことがあっても、この想いはきっと変わらないと思います」
「……そう」
僕と純玲さんは歩き続けた。
時間は23時過ぎ。
どのくらいの距離を進んだんだろう。
完全に見たことのない風景だ。
純玲さんの言う、新しい場所にたどり着いたのだろうか。
それとも、まだまだ、もっと先に行くのか。
「ちょっと疲れたね。休もうか」
純玲さんが指差したのは、誰もいないバス停だった。
僕と純玲さんは並んでベンチに座る。
座った状態で見える風景は広大な畑。
そんな畑を月の光が照らしている。
「……私を助ければ世界から文明が消える」
「え?」
「私を神に捧げれば、人間はさらなる発展を遂げる」
純玲さんは薄暗い畑のほうを見ながら、そんなことを言った。
僕も読んだことがある。
確か、純玲さんに勧められた本の中で、「世界と取るか、少女を取るか」という話があった気がする。
そのときは小説なんて読めなくて、パラパラとページをめくっただけだった。
「陽太くんなら、どうする?」
「……僕は、純玲さんを助けます」
「……世界中の人たちから恨まれるよ?」
「それでもです」
「……」
純玲さんの横顔。
少しだけ笑みを浮かべた……そんな気がした。
だが、そんなときだった。
突然、サイレンが鳴り、パトカーがやってきた。
中から警察官と、女の人が出てくる。
そして、僕たちのほうへと走ってきた。
そのとき、純玲さんが初めて、僕の方を……僕の目を真っすぐ見た。
「そういうの、重いよ」
純玲さんはそう言って、呆れたように笑った。
パトカーから降りてきたのは純玲さんのお母さんだったらしい。
純玲さんが持っていた携帯のGPSだかを辿ってきたのだという。
もちろん、僕も捕まり、そのあとお父さんやお母さんにこっぴどく叱られた。
6ヶ月、小遣いなし。
そんな衝撃的なことを言われたが、僕はそのあと、もっと衝撃的なことを知る。
純玲さんが引っ越すというものだ。
かなり遠くに。
もう会うことはないくらい、遠くに。
純玲さんはあれから1度も僕に会うことなく、引っ越してしまった。
だから、僕は純玲さんの引っ越し先を知らない。
……きっともう、会うことはないだろう。
あの日。
僕と純玲さんは2人のことを誰も知らない場所に着くことができなかった。
全てを捨てて純玲さんを選ぶことができなかった。
その選択肢にすら辿り着くことはできなかったのだ。
純玲さんがいなくなり、僕は文芸部を辞めた。
同時に、文芸部という存在がなくなった。
そして、1年が過ぎた。
純玲さんのことが思い出になりそうな頃だった。
夏休みで、家でゴロゴロとしていたとき。
突然、インターフォンが鳴った。
出てみると、そこには――。
「久しぶりね」
純玲さんが立っていた。
呆然とする僕に、純玲さんが問いかける。
「あの時の答え。……今も変わってない?」
純玲さんか世界か。
その問いに僕は純玲さんを選んだ。
僕はコクリと頷く。
「そういうの、重いよ」
あのときと同じ言葉。
「でも――すごく嬉しい」
そう言って、純玲さんが笑みを浮かべたのだった。
終わり。
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