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加奈子に出会ったのは28歳の5月21日だった。
日曜日に散歩をしていたら、何気なく高台にある小さな展望台が目に入り、天気が良かったので行ってみたのだ。
そこで1人、景色を見ていたのが加奈子だった。
俺はどちらかというと人見知りで、あまり自分から人に話しかけたりはしない。
なのに、そのときはなぜか、俺の方から話しかけていた。
加奈子も散歩をしていたら、偶然、この展望台が目に入ったらしい。
妙な偶然と、高いところにいるという若干のつり橋効果のせいか、俺たちはその場で数時間話し続けた。
たぶん、そのときにはもう、俺は加奈子に惚れていたんだと思う。
連絡先を交換し、何気なくメールを交換するようになり、会うようになるまで1ヶ月もかからなかった。
デートを重ね、俺たちは愛を育み、そして結婚した。
少し誇張してしまったが、たぶんどこにでもある普通の恋愛だっただろう。
別に結婚後に劇的な何かがあったわけじゃない。
子供を一人授かって、夫婦で必死にその子を育て上げた。
仕事と育児のことで加奈子と衝突することもあったが、それでも離婚するほどではなく、よくある夫婦喧嘩の範囲内だ。
ごく普通の幸せを、ごく普通に過ごす日々。
毎日を必死に生きていれば、時間なんてものはすぐに過ぎ去っていく。
気づけば子供は成人し、俺たちの元から巣立っていった。
また加奈子との2人だけの生活。
子供がいなくなって、とくに寂しいとは感じなかった。
それは隣に加奈子がいたから。
加奈子さえいてくれれば、それでよかった。
それからも何事もない普通の日々が続いていく。
そんなある日の日曜日。
加奈子が散歩しようと誘ってきた。
加奈子と一緒に散歩なんて、何年ぶりだろうか。
改めて歩いてみると、街並みも随分と変わっていることに気づく。
毎日、何気なく過ごしていると、そういうことにあまり気づかないものだ。
「ねえ、あの高台に行ってみない?」
加奈子が指を指した先には、俺たちが出会った、あの高台がある。
「いいね。行ってみよう」
二人で高台へと向かう。
昔と違って、高台まで随分と距離があるように感じる。
まったく、年は取りたくないものだ。
ようやく高台に到着する。
そこには28歳の時に見た風景が広がっていた。
「また、ここであなたと出会えた」
そう言って加奈子が笑う。
「ねえ、気づいた? 最初に私たちが出会ったのも、5月21日の日曜だったのよ?」
「……え? そうだっけ?」
5月だったことと日曜日だったことは覚えている。
思い返してみれば、確かに21日だった気がする。
「同じ月日の同じ曜日か」
「そうよ。28年後は必ず同月同日は同じ曜日になるみたい」
「そうなのか。意外と長いんだな」
「でも、なんか不思議よね。28年経った、同じ日に、こうしてまたあなたと同じ風景を見れるなんて」
「そうだな」
その日、俺たちは再び巡り合った、そんな気持ちになった。
人間というものは永遠に生き続けられるわけではない。
人間にはそれぞれ、寿命という時間を持っている。
その時間が先に切れたのは加奈子の方だった。
ちょっとした風邪からの肺炎。
信じられないくらい、あっさりと加奈子は逝ってしまった。
「8年後に、また会いましょう」
そう言い残して。
俺は加奈子が遺した言葉がなんのことかわからなかった。
ただ、5年後にまた加奈子に会える、そんな確信が俺にはあった。
いや、その言葉にすがった。
たぶん、この言葉がなければ、俺はすぐに加奈子を追っていたかもしれない。
だから8年間、必死に生きた。
加奈子と会うために。
ちゃんと生きた。
そして、加奈子が亡くなってから8年が経った。
だが、俺はいつ、どこで会えるのかがわからない。
どこで会えるのか?
俺が会いに行くのか?
加奈子が来てくれるのか?
それがわからなかった。
不安を覚えながら過ごす日々。
そして、季節は5月になった。
俺はカレンダーを見て、気づいた。
そうか。
あそこだな。
5月21日の日曜日。
俺はあの高台へと向かう。
そこは加奈子と出会ったときと同じ風景があった。
目を瞑る。
そこに加奈子がいる。
「また、ここであなたと出会えた」
「……そうだな」
「よかった、ちゃんと思い出してくれて」
「危なかったけどな」
「ありがとう。約束を守ってくれて」
俺はふふっと笑う。
「俺はもう84だ。さすがにもう28年は無理だぞ」
「……そうね」
「心配するな。今日、お前に会えたから、しばらくは寂しくはならない。もう少しだけちゃんと生きてから、会いにいくさ」
「うん……」
目を開く。
高台から見える風景をしっかりと目に焼き付ける。
「さてと」
もう少しだけ生きてみるか。
俺はゆっくりと高台を後にしたのだった。
終わり。
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