人生には必ず分岐点が存在する。
……分岐点というより、後悔した瞬間。
ううん。それも違うかな。
あのとき、ああしていたら、どうなっていたんだろうか。
そんなことを想像するような分岐点。
もちろん、そんな分岐点は人生では山ほど出てくる。
私だって数えきれないほど、もっとああしていればよかったと思う場面は数多くある。
でも、その中で一番心に残っているのはあの瞬間だろう。
「俺と一緒に来てくれないか?」
27歳の頃、高校の頃から付き合っていた智樹にそう言われたときだ。
智樹は優秀なプログラマーだった。
色々な会社からヘッドハンティングされていたくらいだった。
そんな智樹は兼ねてから夢だった起業に挑戦しようしていた。
もちろん、私は応援した。
好きな人が夢を叶えるために進むことを、邪魔する人なんていないだろう。
ただ、智樹は本格的に経営について学びたいと言い出し、アメリカに渡ることにした。
それで、この言葉である。
このときの、私の答えはノーだった。
智樹にも夢があったように、私も私で夢があったのだ。
一流のデザイナーになること。
就職浪人を2年して、ようやく入ったデザインの会社。
その会社を蹴って、智樹について行くことは随分と迷ったが、私は自分の夢を優先した。
それから1年は連絡を取り合ってはいた。
だけど、お互い忙しい身で、次第にメールの頻度は低くなり、そして気づけば2年以上、智樹にメールをしていなかった。
もちろん、智樹からもメールは来ない。
私たちは自然と疎遠になり、別れてしまったのだ。
それからさらに8年が経ち、智樹がアメリカに行って10年が経っていた。
正直に言うと、何度も挫折して会社を辞めようかと悩むことがあった。
でも、そのたびに「智樹よりもこっちを選んだんだから」と半分、意地になって頑張ってきたのだ。
その甲斐あってか、私は業界でもそこそこ名前が通るくらいのデザイナーに行き着くことはできた。
たぶん、智樹と別れていなかったら、私はここまで来られなかっただろう。
そして、30代後半で彼氏もいない状況になった今、よく考えることがある。
あのとき、智樹について行ったら、どうなってたのだろうか。
きっと今頃は智樹と結婚し、子供もできていたと思う。
それはそれで、きっと幸せだったはずだ。
智樹について行ってよかったと思うくらいに。
じゃあ、あのときに時間を戻したとしたら、智樹について行ったのか?
答えはノーだ。
笑ってしまうほどに、何回考えても、私は智樹の言葉に首を横に振る。
おそらく、何度繰り返しても私はこっちを選ぶだろう。
選んで、何度もイエスと答えていたらどうなっていただろうかと考える。
そう、容易に想像できる。
「同窓会、来るでしょ?」
同級生からの突然の電話。
そういえば、ずっと仕事の忙しさを理由に同窓会には出ていなかった。
今は仕事も落ち着いていることだし、私は同窓会に出ることにしたのだ。
「……やっぱり、来なきゃよかった」
私は同窓会の会場で、速攻、そう思った。
なぜなら、そこには智樹がいたからだ。
当然ながら、智樹はあのときから10年、年を取っていて、貫禄のあるおじさんになっていた。
たぶん、それは私も同じだろう。
私だっていい、おばさんだ。
だから、私はそんな智樹を見たくなかったし、こんな私を見られたくなかった。
私は隙を見て、さっさと同窓会の会場から出ることにした。
「「あっ」」
同窓会会場の入り口で、私と智樹は見事にハモった。
どうやら、智樹の方も会場を抜け出して帰ろうとしていたようだ。
どうせ、もう見られてしまったんだし。
私は吹っ切れて、智樹に「少し歩かない?」と持ち掛けた。
智樹も「俺もそう言おうと思ってた」と返してくる。
最初の10分はなんか気まずくて何も話さなかった。
だけど、智樹がポツリと口を開いた。
「……結婚、してなかったんだな」
「え?」
「左手」
「……ああ」
私は自分の左手の薬指を見る。
もちろん、指輪はハマっていないし、その跡すらない。
「智樹は?」
私が聞くと、智樹も綺麗な左手の薬指を見せてくれる。
「……忙しくて、それどころじゃなかったんだよ」
「……私も」
また、少しの沈黙。
今度はふと、私は思ったことが口に出てしまった。
「こんなこと言うと、最低かもだけど、なんかよかった」
「なにが?」
「智樹が結婚してなくて」
「……」
「なんかさ、してたら悔しいじゃん」
「それはわかる」
お互い、顔を見合わせて笑ってしまう。
そういえば、昔も、馬鹿なことを言い合って笑っていた。
「智樹はさ、考えたことある? 私がついて行ったときの未来」
「もちろんあるよ」
「……やっぱり、ついて来る未来の方がよかった?」
卑怯な言葉。
智樹にうんと言って欲しいだけの、くだらなくて卑怯な言葉だ。
だけど、智樹は苦笑して首を横に振った。
「悪いけど、よかったと思ってる。一緒に来てくれなくて」
「……え?」
智樹はバツが悪そうに頭をポリポリと掻いた。
「実はさ。俺、何度も夢を諦めようとしたんだ。辛くて」
「……」
「でも、そのたびに、こう考えたんだ。『あいつを見返してやるんだ』って。『あいつに、やっぱり一緒に行けばよかった』って言わせてやるって」
「……」
「それがあったから、今の俺がある。小さいけど、会社も作ることができた」
笑ってしまうほど同じだった。
智樹は智樹で、私と同じように意地で頑張っていたんだ。
「きっと、お前が来てくれてたら、俺は夢を諦めてたと思う。そりゃ、結婚してそれなりには幸せになっていただろうけど」
「……」
「でも、もし、俺が選べるなら、何度でも、お前が来ない方の未来を選んでると思う」
「あはははははははは!」
思わず、私は笑ってしまった。
「な、なんだよ?」
「同じだよ。私も」
「え?」
「何回、時間が戻っても、何回あの分岐点に立っても、私は何度でもこっちを選ぶよ」
すると、智樹は苦笑して、こう言った。
「それじゃ、岐路じゃなかったんだよ」
「え?」
「あれは分かれ道じゃない。一本道だったってことだろ?」
「……ああ。確かに」
運命と言ったらチープかもしれない。
でも、その道はきっと、決まっていたんだ。
ううん。他に道なんてなくて、その道を進むことに疑うことすらない。
「なんだ。じゃあ、智樹と結婚するなんて道はなかったってことよね」
「そんなことないだろ」
ピタリと智樹が立ち止まる。
そして、私の目を真っすぐ見る。
「今度こそ、岐路だ」
「え?」
「結婚してくれないか?」
智樹がそう言った。
私は思わず吹き出してしまった。
そして、私はこう切り返す。
「全然、岐路になってないよ」
と。
終わり。
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