「政義くんが、私の生きる生命線だよ」
これは愛佳の言葉で、俺が駆け落ちを決めた言葉だ。
愛佳は中学生の頃に両親が離婚してから、親に虐待され続けてきた。
学校を休むことや体に痣を作ってくることもザラだった。
当時の俺は友達に協力してもらって、なんとか騒ぎ立てて、愛佳と親を引き離すことに成功した。
愛佳は施設に入ることになったが、親に虐待され続けるくらいならいいだろうと思って、自分の中で無理やり納得させた。
それから愛華はちゃんと笑うようになった。
でも、それは心の底からの笑顔ではなく、どこか寂しそうな、そんな笑顔だ。
もしかすると、愛佳はあんな親でも心のどこかで愛していたのかもしれない。
だが、そんな愛佳の純粋な心を、愛佳の親は踏みにじった。
高校に入った愛佳に、密かに接触していたのだ。
これは憶測だが、最初は「心を入れ替えた」とかなんとか言って愛佳を騙していたのだろう。
愛佳が警戒心を解くと同時に、愛佳の親は少しずつ愛佳を洗脳し始めた。
愛佳は誰に相談することもせずに、親の命令に従い続けた。
高校を辞め、施設を出ていき、親の元へと行ってしまった。
俺が再び愛佳を見つけたときは、それはもう酷い状態だった。
このときのことは、正直、思い出したくない。
愛佳も洗脳されていた影響か、その頃のことはあまり覚えていないと言っていた。
もしかすると、俺に気を使って、そう言ったのかもしれないが。
そして、俺と再会したとき、愛佳はこう言った。
「政義くんとの思い出があったから、生きようって思ったの。……生き続けることができた」
愛佳は俺のことを生きるための生命線と表現した。
そう表現してくれた。
俺は愛佳を連れて駆け落ちをした。
愛佳の親に見つからないように、遠くの地へ。
高校の時、何気なくバイトをしてお金を貯めていたことと、10代という夢見がちな勢いがあるときだったということもあるだろう。
意外と2人で生活することができた。
俺も愛佳ほどではないが、親と確執があり、親は俺を探そうともしなかったし、俺の方も親に連絡することはしなかった。
俺と愛佳は天涯孤独なった。
だけどそれは、逆に言うと新しい人生を歩み出した瞬間だった。
23歳になり、俺が正社員として就職できたタイミングで俺たちは籍を入れた。
それから2年後、愛佳は身ごもり、由佳里を生んだ。
何もかも未熟な俺たちは子育てに四苦八苦した。
毎日、些細なことが色々起きた。
それでも俺たちは幸せだった。
だけど、そんな幸せも突然に奪われてしまう。
由佳里が3歳になる頃、愛佳が事故で亡くなった。
ものすごい喪失感だった。
世の中の何もかもが色あせ、生きる気力さえも消え失せてしまう。
俺はそのとき、愛佳が俺のことを「生命線」と言った意味を理解した。
俺がいたから生きてられた。
逆に言うと俺がいなければ死んでいたということだ。
気づけば俺にとっても愛佳は「生命線」になっていた。
ここまで頑張ってこれたのも、生きてこれたのも愛佳がいたからだ。
その生命線を失った俺は生きることに意味を見出すことができないでいた。
そんなとき、抜け殻のようになった俺に、由佳里が笑顔でこういった。
「お父さんが泣いてたら、お母さんも泣いちゃうよ」
俺はその時、気づいた。
俺にはまだ「生命線」があるのだと。
その日、以降、由佳里が俺にとっての生命線になったのだった。
「お父さん。今まで育ててくれてありがとうございました」
由佳里の結婚式。
涙ながらに由佳里がそう言った。
思えば由佳里には多くの苦労をかけた。
お世辞にも普通の生活とは言えないくらいに、由佳里には我慢を強いてしまった。
それでも由佳里は俺に「ありがとう」と言ってくれた。
俺は由佳里が真っすぐに育ってくれただけで嬉しかった。
そんな由佳里が連れてきた相手は、非の打ちどころのない好青年だった。
これで安心して由佳里のことを任せることができる。
俺は笑顔で由佳里を送り出した。
それから1ヶ月後。
俺は驚くほど無気力になっていた。
由佳里の結婚式の準備に追われて忙しかった日々の反動かもしれない。
最初はそう思った。
だけど、それは違うことに気づいた。
そう。
俺には由佳里という生命線がなくなってしまったのだ。
愛佳が死んでから、俺は由佳里を育て上げるという思いだけで生きてこられた。
だけれど、その由佳里は家庭を持ち、俺の元から巣立っていった。
もう、由佳里のために生きる必要がなくなった。
そう思うと気が抜けていく。
生命線が切れてしまった俺は、今後、どうやって生きていけばいいんだろうか。
俺は何気なく、ロープを持って山へと入っていく。
見晴らしのいいところがいい。
そう思って山を登っていく。
そんなとき、ふと猫の鳴き声が聞こえてきた。
何か必死そうな声だ。
俺は草をかき分けて、声がする方へと向かう。
そこには生まれてまだ数ヶ月くらいしか経っていない子猫がいた。
そして、その傍らには親猫らしき死体も。
俺は親猫を埋葬し、子猫を家に連れて帰った。
子猫は子供と違った大変さがある。
俺は子猫を育てるのに四苦八苦した。
いつの間にか、俺にはまた生命線ができていることに気づく。
これからも俺は生命線を作り続けながら生きていくのだろう。
意外と、生命線なんて簡単にできるもののようだ。
終わり。
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