殺してください

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 夜の病室内。
 
 看護師さんの見回りも終わり、患者のほぼ全員が寝静まった頃。
 
「……殺してください。……殺してください」
 
 この時間になるといつも、そう呟く声が聞こえてくる。
 
 気が滅入るなぁ。
 
 私はいつものように布団を頭まで被り、無理やり眠りにつこうと頑張るのだった。
 
 
 
 学生の頃はテニス部で、これでも一応は部長を務めていた。
 弱小の学校で、私自身も大会ではせいぜい3回戦止まりくらいだったけど、普通の人よりは断然上手い。
 
 そう思っていたのが悪かった。
 
 ブランクが10年。
 そんな状態で、学生の頃の時のように動けるわけがない。
 
 転職した会社の中にテニスサークルというのがあったから、運動不足解消のために入った迄はよかったが、いきなり調子に乗ったのが悪かった。
 
 アキレス腱断裂。
 転職して2週間で入院するという羽目に陥った。
 
 入院自体は5日間で済むらしい。
 昔、お父さんがアキレスけんを切ったときは数ヶ月入院していた記憶があるから、今は随分と短いんだなと思った。
 
 けど、入社したてでいきなり1週間の休みは結構、痛恨だ。
 いきなり居づらくなるなぁと思いながら、ボーっと病室の天井を見る。
 
「あら? 骨折?」
 
 同室で、隣のベッドの50代らしき女性が話しかけてくる。
 
「いえ、アキレス腱やっちゃって」
「あらー。大変ねぇ」
 
 骨折よりは大変じゃないと思うけど、まあいいや。
 
 その女性は田中さんと言って、胃潰瘍で手術をするらしい。
 病院内と言うのは基本的に暇で田中さんも話し相手が欲しかったんだろう。
 気づけば、私は田中さんと3時間くらい他愛のない話をした。
 
 夕食が終わって、消灯時間間際のことだった。
 
「夜に変な声が聞こえるかもしれないけど、気にしないでね」
 
 いきなり田中さんがそう言った後、シャーとカーテンを閉めてしまった。
 
 え? なに? どういうこと?
 幽霊でも出るだろうか?
 
 私は不安に駆られた。
 仮に幽霊が出たとしても、この部屋には田中さん以外にも人がいるし、何かあれば、ナースコールを押せばいい。
 
 そう思ってナースコールをすぐにつかめる位置に置いた。
 
 寝てしまえばいいと思うが、寝ようと焦れば焦るほど目が冴えていく。
 羊なんて数えてみたが、134匹目で断念した。
 
「……して」
 
 ふと、人の声がすることに気づいた。
 
「……殺して……ください……」
 
 田中さんとは逆隣りからだった。
 
 確か、そこには70代の女性が寝ていたと記憶している。
 
「……殺してください。……殺してください」
 
 幽霊じゃなかったのはよかったが、これはこれでかなり不気味だ。
 ゆっくりとつぶやくように、「殺してください」と繰り返される。
 
 それが気になって、私は結局、朝方まで眠ることはできなかった。
 
 
 
「そのうち慣れるわよ」
 
 朝になって、田中さんが笑いながらそう言った。
 田中さんも入院したての時は気になって、全然眠れなかったらしい。
 
「静江さんって言うんだけどね、結構、長いみたいよ。入院期間」
「……なにで入院してるんですか?」
「詳しいことはわからないけど、なんかすごい珍しい病気みたい」
「そうなんですか……」
「でも、なんか可哀そうよね。誰もお見舞いに来ないし、本人はずっと寝てて意識があるのかないのかわからない状態なんだもの」
「……それが辛くて、殺してほしいってことなんですかね?」
「……」
 
 すると田中さんはピタリと口を閉じてしまった。
 
 あれ? なんか変なことを言っちゃったんだろうか。
 
 田中さんは顔をしかめて、「うーん」とうなり始める。
 なにかに迷っているような感じだ。
 
「……あのね。どうしても気になるなら、静江さんのベッドの下を見るといいわ」
「……なにがあるんですか?」
「それは自分で確かめて頂戴。……でもね、忠告しておくわ」
 
 田中さんは真剣な目をして言葉を続ける。
 
「私は、見ることはお勧めしないからね。自己責任で!」
 
 そう言った後、田中さんはやや強引に話題を変えた。
 
 
 その日の夜。
 私は看護師さんの見回りが過ぎたあと、起き上がって静江さんのベッドの下を見る。
 
 そこにはなにやらノートのようなものが数冊積まれていた。
 田中さんが言っていたのはこのノートのことだろう。
 
 確かにすごく気になるが、本人の許可なくプライベートな物を見るのは失礼だ。
 
 私は見たい気持ちを抑えて、ベッドに戻った。
 するとそれを見計らったように聞こえてくる声。
 
「……殺してください。……殺してください」
 
 私は布団を頭まで被って、その声を聞かないようにした。
 
 
 それから3日が過ぎた頃。
 田中さんの言うように、すっかり声には慣れてしまった。
 
 そして、退院の日が迫る。
 退院すれば静江さんに会うことも二度とないだろう。
 
 そう思うと、今まで我慢してきた反動が一気に押し寄せる。
 失礼という気持ちよりも、好奇心の方が勝ってしまった。
 
 その夜、私は静江さんのベッドの下にあるノートを手に取り、自分のベッドの上で読み始めた。
 
 ノートは日記のようだった。
 最初はごく他愛のないただの日記。
 
 読み飛ばしていくと、その中で、義弘という人と出会ったことが書かれていた。
 
 一生に一度の大恋愛。
 
 日記にはそう書かれていた。
 
 そこからはいかに自分が義弘という人物が好きかがびっしりと書かれていた。
 正直、他人の惚気話ほど胸やけするものはない。
 読んでるのもつらくなり、もう読むのを止めようと思ったときだった。
 
 病気になった、という話が出てきた。
 なんでも、1000万人に1人という珍しい病気で、余命は半年と宣告されたと書かれている。
 
 どういうこと?
 
 私は一気に興味が増し、日記を読み続ける。
 
 静江さんと義弘さんは結婚を誓い合っていた。
 相思相愛で、お互いさえいれば、それでよかった。
 逆に言うとどちらかが欠ければ生きていけない、そう書かれている。
 
 余命が宣告されてから、すぐに半年が過ぎた。
 
 静江さんは日に日に衰弱していく。
 この辺りから、字体が変わっていた。
 おそらく、静江さんが言ったことを、義弘さんが書いたのだと思う。
 
 日記には義弘さんの想いも綴られていた。
 どんなに静江さんのことを好きだったこと。
 静江さんを失うのなら、もう生きていけないのだと。
 
 そして、最後にこう綴られていた。
 
「静江を一人では逝かせない。僕も一緒に逝こう。そうだ。どうせなら、静江の手で僕を送ってもらおう」
 
 その一文で日記は終わっていた。
 
 
 
 退院の日。
 田中さんと少しだけ話した。
 
「……あの、もしかして、静江さん、本当に義弘さんを……」
「さあ。あれだけじゃ証拠にならないし、それにきっと、時効は過ぎてるんじゃない?」
「……」
 
 何も言えなかった。
 確かに、あんなノートが証拠にもならないだろうし、死体自体も見つかっていないのだろう。
 
「……本当はあの世で幸せに暮らす予定だったのかもね」
 
 田中さんが悲しそうな声で言った。
 
 おそらく、静江さんはなにか奇跡的なことがあって生きながらえたのだろう。
 もしかしたら、その病気に効く薬でも見つかったのかもしれない。
 
 あれほど愛した義弘さんが待っているのに、自分は一向に逝けない。
 だからこそ、必死に「殺してください」と願っていたのだろうか。
 
 それには自分が愛する人を手にかけた罪悪感もあるのかもしれない。
 
 静江さんはこの先もずっと、「殺してください」とつぶやきながら、生き続けるのだろうか。
 
 終わり。

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